肌で感じる♪山も歴史も深~い日光の旅♪

こんにちは。ほと子です。

2018年の夏、「命にかかわる危険な暑さ」が継続中です。
数年前までは「エアコンはほどほどに」とアナウンスされていたと思うのですが、「我慢せずにエアコンを使いましょう」と声高に聞いたの初めての夏だったように感じます。

そんな猛暑のなか、ご縁あって日光へ行って参りました。

 

日光~自然、歴史、人智の偉大さを感じられるパワースポット

日光といえば世界遺産を含む観光スポットです。

歴史深く、豊かな自然と偉大な人智を感じられる場所で、パワースポットと一言で表現するには恐れ多いのですが、確かに力強い気配を感じられるまさしく“聖地”でした。

 

東照宮の歴史

表門

 

鐘楼・鼓楼と奥に陽明門

 

日光といえば思い浮かぶ徳川家康を祀る「日光東照宮」ですが、観て感動、知って感慨深い歴史がありました。

「東照宮」と、その隣に位置する、三代将軍・徳川家光の眠る「大猷院」にまつわる出来事を、年表を追っておさらいしましょう。

 

 

1616年:徳川一代目将軍 家康、駿河(静岡県)にて死去。

1617年:家康の遺言通り、家康の死から1年後に遺骸を駿河から日光山に移し、二代目将軍・秀忠(ひでただ)により日光山に日光東照宮創建。

1636年:三代目将軍、家光により日光東照宮の大改築が完成。

1651年:家光死去、日光山に葬られる。

1653年:家光の遺言通り「東照宮を超えないように」大猷院廟完成。

家康に「自分を神として祀れ」という遺志はありましたが、「簡素な小堂を」と言い残していたそうで、二代目将軍・秀忠がその遺志通り建立したそうです。
現在、私たちが見ている豪華絢爛な東照宮は、家康の死後、自分を慕う孫による大改修後のものということになります。より豪華で、より家康の威信を誇るものとなったのでした。

 

東照宮 唐門

 

東照宮 彫刻あれこれ

 

東照社として祀られていましたが、1645年に朝廷から「東照宮」と宮号を宣下され改称した後、崇敬され全国に700もの社ができたそうです(明治以降は減少傾向)。

 

家康を深く慕う家光

幼い家光は、両親の愛情を出来のいい弟・忠長(ただなが)に奪われたと感じており、その恨みは成人後の忠長に自害させるまで深いものでした。
また、将軍候補のライバルである忠長よりも、長兄である自分を将軍として選んでくれたことが、家光の家康信仰を深めたという説もあります。

青年時代、踊りやファッションにふけて教育係を悩ませた家光でしたが、生涯、家康のことが話題になると、どんな場所でも姿勢を正して聞き、語ったそうです。父よりも自分を評価してくれた祖父・家康への信仰、また自己威信の表現だったとも見てとれます。

五重塔 徳川家康・秀忠・家光が干支で表されています

 

将軍といえども、ただひとりの人間。人の愛情や承認を求める気持ちは、今も400年前も変わらず、心の寄り所となった祖父への想いが形となったのが東照宮です。壮大な歴史と、人の根源的感情を背負う豪華絢爛なる建造物が残されました。世界遺産となったそれらから、私たちは歴史と人間の根源的な感情に感じ入ります。

夏休みという時期もあり、観光地としての賑わいをみせながらも、私のような一庶民が立ち入っていいのかと畏れ入る空間もありました。
特に、東照宮の拝殿は、歴史の重みがひしひしと感じられる雰囲気でした。

 

徳川三代将軍家光公廟 大猷院(たいゆういん)

仁王門

二天門

唐門

 

・徳川三代将軍 徳川家光の霊廟

・本殿は建物全体に純金に近い金箔が多用され、明治41年、国宝に指定

・東照宮の豪華絢爛に対して、幽玄さびが特徴

 

境内

家光の「東照宮を超えないように」との遺言通り、控えめに作られた彩色や彫刻は、重厚な雰囲気を醸し出し、境内全体に静かな荘厳さが満ちています。

 

 

拝殿では、建物や宝物について10分程度の説明を受けられます。家光が家康より賜ったという鎧があり、ガラスケース越しではありますが近くで観られて感激でした。

「死後も魂は日光山中に鎮まり、東照公のお側近くに侍り仕えまつらん」との遺志のもと、東照宮の隣に眠る家光。家康と家光、現代の日本をみてどんな会話をしているのでしょう。

 

世界遺産としての日光

1999年に、徳川幕府の聖地である東照宮と、日光山輪王寺、日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)の二社一寺が世界遺産として登録されました。103棟の建造物やその周囲の遺跡は美しく豪華で、その周辺の山林には樹齢360年を越える杉などを見ることができます。江戸時代初期に作られて以来、度重なる災害を受けましたが、復元されてきました。

 

「平成の大修理」真っ最中の東照宮

 

私が参拝した際も修繕中で、普段は隠れているであろう骨組みが見え、それもありがたい気がしました。HPによると「第一期第三次」という計画装飾廻りの根本的な更新修理で、「建物の歴史的な経緯と伝統技術の仕様・工法の詳細などを出来るだけ明らかにしていく。」という方針があるそうです。これからも、建物に込められた技術や想いが明らかになる可能性があると思うとわくわくします。

 

旅をふりかえり

今回の記事以外にも、中禅寺湖や華厳の滝など、日光が誇る自然も堪能してきました。

中禅寺湖 内周フェリーの景色。歴史の趣きを感じる風でした♪

 

華厳(けごん)の滝 100Mの高さから落ちる圧巻の滝の勢いと山肌の荒々しさ!

神橋

印象的に思い出すのが、日光の玄関にあたる朱色の橋、「神橋」の手前で話しかけて下さった年配の女性です。おもむろにパンフレットを開き「ここに車を停めてこの順番で、観て回りなさい」と、家康公情報を次から次へとお話して下さいました。
観光地独特の観光客を体よくあしらう感じは微塵もなく、「この土地の歴史を知って欲しい」「なぜならとってもいいところだから‼」という誇りと優しさを感じました。

今や、スマートフォンで部屋にいながらにして何でも調べられるような気がしてしまう情報社会です。暑いなか、わざわざ出て歩かなくても…という出不精な気持ちが強くなる夏でした。

それでも、歴史ある建物の荘厳さや、滝のしぶきとその引き込まれそうな勢い、そして人との偶然の出会いと優しさ…。それらは検索して出てきた写真には写らないし、その場に出向いて初めて経験できるものなのでした。当たり前のことですが、肌で感じ、これからの生きる指針になった旅でした。

(この記事を書くにあたって、写真を残したかったのですが、東照宮、その他の境内は写真禁止の場所が多かったです。見たい場所には足を運ぶべし、ですね♪)