なんぞや?般若心経の「空」

以前のほとけ便りの記事、「写経で人生が幸せに!?その効果と方法とは?」で写経の効果についてご紹介しました。写経で多く書かれているお経が、皆さんご存知の「般若心経(はんにゃしんぎょう)」です。

 

 

宗派を問わず、お寺でも神社でもあげられるので「花のお経」として親しまれています。

解説本は数えきれないほど出ていますし、私も沢山読みました。そのなかには、結局どういうこと?と、わかったような気にすらなれない本も多いです。今回は、私なりの「般若心経」の読み方、何を言っているお経なのかを書かせて頂きたいと思います。
般若心経全体の意味はもう知ってる!という方、「空」についての記事はこちらからどうぞ。

 

般若心経とは

もとは六百巻という膨大なお経「大般若経」を、262文字にまとめた凝縮エッセンスのお経です。
仏教の修行者の代表としての観音様が語り手です。「舎利子」というお釈迦様の十大弟子のひとりに、語りかける形式なので、「舎利子よ」と何度も出てきます。
お釈迦様も、悟りを得た後に「俺は仏教という教団を作ってそのトップに君臨するぞ」と、大勢の前で語るようなことはなかったそうです。ひとり対ひとりと向き合い、その人の必要とする言葉で、その人が悟りに近づけるよう呼びかけられたそうです。そう思うと、この「舎利子」の部分に、「○○さんや」と自分の名前を入れて思えば、親しみをもって、より素直にお経が聞ける気がしますよ。

 

般若心経 読経音声

YouTube :「般若心経 – 唱えてみよう!」

上記You Tubeは真言宗豊山派 金剛院 さんの公式サイトより引用させて頂きました。

いろんな寺院のサイトやYouTubeから聞きやすい、見やすいお気に入りをを探すのもよいかと思います。

 

般若心経の現代訳

まずは、般若心経が何を言っているお経なのかみていきます。

摩訶般若波羅蜜多心経 (まかはんにゃはらみつたしんぎょう):お経のタイトル

摩訶 (まか):大きい、偉大である

般若 (はんにゃ):知恵

波羅蜜多心経 (はらみつたしんぎょう):彼岸へ至る、渡る為の偉大な知恵のお経です。
こちらの此岸から彼岸へ渡るには、行を行って6枚のチケットをもらう必要があり、それは六波羅蜜(①布施 施し ②持戒(じかい) 戒律を守ること ③忍辱(にんにく) 辛抱する ④精進 努め励む ⑤禅定(せんじょう) 迷いの炎を鎮める ⑥智慧 物事を正しく判断する考え。①から⑤を行うと自然に身に着くとされます)である。

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 (かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみつたじ)
観音菩薩さまは、彼岸へ渡る修行をしている六つの修行をしている時に気付きました。

照見五蘊皆空 度一切苦厄 (しょうけんごうんかいくうどいっさいくやく)
五蘊(ごうん:人体を構成するもの)の感じるところは空である。
心の働きで、見えるもの、聞こえるもの、あるものがはじめてあることになる。
苦しみや悩みも、それに捉われなければ、救われる。

舎利子 (しゃりし)
シャーリプトラよ。

色不異空 空不異色 (しきふいくう くうふいしょく)
色は物質、形あるもの。すべての現象は、心があると思えばあるし、ないと心が考えればないのと同じ。

色即是空 空即是色 (しきそくぜくう くうそくぜしき)
物質、形あるものは空、物があってもそれを感じる心がなければ、ないのと同じである。

受想行識 亦復如是 (じゅうぎょうしき やくぶにょぜ)
受・思・行・識は心のはたらき。
心のはたらきで様々な欲(煩悩)がうまれるが、心があるからこそである。

舎利子 是諸法空相(しゃりし ぜしょほうくうそう)
シャーリプトラよ。すべて形あるものは皆空であるという認識をもてば、ものに執着する心がなくなり、煩悩が消え、苦しみが救われるのだよ。

不生不滅 不垢不浄 不増不減 (ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)
心次第では、生じもしなければ滅しもしない。汚れもなく清らかでもない。増しもしなければ減りもしない。すべては自分の捉われの心で見ているからなのだ。

是故空中 無色 無受想行識 (ぜこくうちゅう むしき むじゅうそうぎょうしき)
それゆえ、空のなかには物体もない。認識することもない。

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 (むげじびぜっしんに むしきしょうこうみそくほう)
眼も耳も鼻も舌も身体も心もない。色も声も香も味も触覚も法もない。

無眼界乃至無意識界 (むげんかいないしむいしきかい)
眼から意識の領域までことごとくない。

無無明 亦無無明尽 (むむみょう やくむむみょうじん)
自分を含む様々な存在が実体として存在しているという、誤った考えをもってしまう。あらゆるものは、有るようで無く、それはただ無いのとも違う。

乃至無老死 亦無老死尽 (ないしむろうし やくむろうしじん)
老いや死も、無明(真実に明るくない心、無知や愚かさ)がなければない。

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 (むくしゅうめつどう むちやくむとく いむしょとくこ)
苦・集・滅・道=四つの真理。無明をなくせば、苦しみの原因や悟りに至る道もなくなる。
一切が空であるなら、悟ったとしても智も得もない。何ももたないのだから…。

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 (ぼだいさつた えはんにゃはらみったこ)
菩提(悟りの世界)と薩埵(衆生の世界)の迷いを共にもつとは、六つの修行中だからこそのことである。

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 (しんむけいげ むけげこ むうくふ)
罣(魚をとる網)と礙(障害)で 罣礙(さえぎる、さまたげる)
心にさまたげるものがないとは、自由自在でこだわりのない心、恐れるものがない、ということ。

遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃 (おんりいっさいてんどうむそう くきょうねはん)
ひっくりかえった物の見方や考えは夢想や妄想とおなじ。事実でないことを妄想していくことをやめると、物事が正しく見えて、最上の涅槃、煩悩の火が消えた平安静寂の世界に達することが出来る。

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 (さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
過去・現在・未来び諸仏も、般若の知恵によってこの上なく真実な尊い悟りを得られた。

故知 般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒(こち はんにやはらみつた ぜだいじんしゆ ぜだいみやうしゆ ぜむじやうしゆ ぜむとうどうしゆ)
よって、「般若波羅蜜多」という智慧は偉大だと人は悟ります。

能除一切苦 真実不虚故 (のうじょいっさいく しんじつふここ)
すべての苦しみを除き、真実であり偽りがないからこそ…

説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 (せつはんにゃはらみったしゅ そくせつしゅわく)
真実を見抜く般若の知恵を短い呪文で讃えたい。その呪文をここに記します。

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 (ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)

ギャーテーギャーテー

ハーラーギャーテー

ハラソーギャーテー

ボウジーソワカー

般若心経 (はんにゃしんぎょう)

1日1行で心が整う、字が上手になる 書き込み式 般若心経写経帳 (COSMIC MOOK)
 

般若心経の「空」とは…

 

般若心経を通して読んだり聞いたりすると、何度も出てくる「空(くう)」が大事なキーワードだと気づきます。

「そうか、この世は空(くう)なんだ…」。

何かがわかったようでわかりません。厭世的に「お釈迦様も言っているように、この世は空、この世は儚い…」とアンニュイな表情になったところで、青春の1ページにはなっても生きていく力にはなりません。
ただ、一人の人間が感じているもの「色・形・味、喜怒哀楽(感情すべて!)」は、「私がそう感じているからそこにある」というこの世の普遍ルールを教えてくれているのだと思います。
(この普遍ルール、知ってるのと知らないのとでは、生きる上で大違いです)

例えば、鏡の前に「すごく太っちゃった…!」と悲痛な表情を浮かべている女性がいたとします。生活習慣を変えよう、今までの生き方がいけないんだわ!とライザップ入会の為に定期貯金を解約しようと躍起になっています。一方、旦那さんは全く気付いていない、なんなら「最近可愛くなったなぁ」と思っていたりすることもあります。
これは、「痩せていることがいいこと」という理想をもつ女性の世界です。「ぷよぷよしている位が可愛い」と感じる男性もいますし、「太っていればいるほど魅力的」という好みもあります。
その基準ひとつひとつに「いい・悪い」はなく、人はその基準で生きて、この世を見ていることになります。
この理想・感じ方・好み、はそれぞれで、その人オリジナルの心(こころ)メガネをかけている、と言えます。その心メガネをかけていると、世の中はどうしたってそのように見えるし、他の人はその心メガネをかけていないので、違うように見えます。

 

「同じものを見ていても自分と他人の感じ方は違う」

⇒「この世は、その人が見ているものがその人の世界である」

⇒「この世は、すべての人が同じように感じる実体はない」

⇒これぞ「空」!

「空」の意味するところが、空(むな)しい、儚い、なのかと思っていた時は、般若心経が「この世は、がんばっても必死になっても結局意味はないよ」と冷めたメッセージであると感じていた気がします。
そうではなく、「心」がこの世のすべてを決める。この世をみる「心メガネ」が幸せも、満足も決めるとわかったとき、般若心経が温かいお経に感じました。

言葉にすると“ふ~ん”ですが、これを「わかった」ときの嬉しさ、生きる学び、のような感覚が、もしかしたら「悟り」の一歩なのではと思います。

 

私と般若心経

私の生まれ育った家庭には特に信仰があつい家庭ではなく、盆暮や親戚が来た時、学期末に小学校から帰ってきたら仏壇に成績表をあげて拝む、そんな一般的な家庭でした。ただ、私がこの「ほとけ便り」を書いてみることになったのも、父に写経させられていた般若心経の影響からかもしれません。
落ち着きのない私が、高校受験対策で書き写す「天声人語」と並列でやらされていたような記憶もありますが、私は父の期待する瞑想効果そのままに、文字を書き写す時間に、集中する気持ち良さを感じていました。
262文字の漢字の塊から感じる迫力がかっこいいし、音の響きも面白いと思いました。また、お経に、「人間の普遍」的な悩みや想いがある、ということを感じ、思春期の私にとって、無意識に安心につながっていたのだと思います。今回書かせて頂いた「空」や「心眼鏡」については、私の解釈で書かせて頂きました。

仏教以外の本を読んでいても、この空の概念につきあたることがあり、私なりの、でも確信をもった解釈でありますが、皆さまの般若心経への親しみになったり、ご理解へのご参考になれば幸いです。


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