お寺に学ぶ心のお掃除

皆さま、こんにちは、ほと子です。

夏が終わり、「あ~今年も残り短いなぁ」なんて会話が聞かれる頃になりました。
年末を意識し、「今年こそ大掃除、ちゃんとしたいなぁ」と言いながら、十分出来ないことも多いですね。今回は大掃除や日々のお掃除について、お寺に学びたいと思います。

 

お寺にとって掃除とは…

 

年末の恒例行事として、10メートルもある長い笹竹を持って本堂のほこりを払う「スス払い」の光景がニュースで流れますね。仏教では、日常の掃除そのものが修行であり、気づきの機会とされているようです。

 

仏道に励む僧侶の世界で、日頃の修行はこの三つ。

一、作務(さむ) 掃除に片付け、庭の草むしりや薪(たきぎ)を割って風呂を焚くなどの作業

二、勤行(ごんぎょう) 仏前で読経(どきょう)や手を合わせて回向するというお勤め

三、学門(がくもん) お経やその他の勉強

一番に来る作務とは、掃除や片付け、庭の草取りや、昔だと薪(たきぎ)を割ったり風呂をたいたりと、体に汗して働く作業です。その中での代表は掃除で、私たちがお寺を思う時にも、作務衣(さむえ)を着たお坊さんの姿が思い浮かびますね。

 

掃除の基本

部屋全体を掃除するときは“上から下に”が基本です。

窓を開け、空気の入れ替えをしながら、壁や棚などのホコリをハタキなどで落とす。(棚板などのホコリが目立つような場所は、まず乾いた雑巾で拭き取ってから、ぬらした雑巾で拭く)きつめに絞った雑巾で、キュッと拭き上げるのが基本。

 

雑巾の使い方

・手の大きさに合わせて畳み、汚れたら折り、全面を使って拭く。

・手の指を大きく広げて、手に浮いた部分がないように、指先までしっかり全体を密着させるようにして、雑巾と床をとらえます。

・指先が浮いていると転んでケガをする場合があるので気をつける

・きつめに絞り、キュッと拭き上げる(きつく絞ることで、乾拭きが不要になるそう)

・バケツの水はこまめに替える

 

エコな掃除、道具への心遣い

お寺の掃除で活躍するのがタオル。庭には木々が多いので、外の掃除をする時に枝が頭に刺さらないよう、タオルを頭に巻くそうです。頭に巻いていたタオルがほつれてきたら雑巾に、汚れてきたら棒の先につけてハタキに…と状態によっていろいろな使い方をするそうです。
最後まで大切に使い、もう使い道がないとなってから、感謝の気持ちをもって捨てる。

木の素材には科学的な洗剤は使えないことが多いので、古い建物が多いお寺では、自然と昔ながらの道具を使うことになります。科学的なもの、特別な掃除用品は揃える必要はないのですね。

 雑巾やほうきを使っている間にも、同じ部分だけを使って傷まないようにするそうです。お寺の掃除では、雑巾、バケツ、ホウキ、ハタキと、ごく当たり前の道具を使っているそうです。使い捨てのペーパーなどを使うことに慣れていると、こういう「ものを大切にする」ということに鈍感になりそうですが、一枚のタオルを最後まで大切に使うことで、暮しに大事な心を思い出せますね。

特別なハイテク掃除機がなくても、毎日の掃除を心がけるだけ。そう思いますが、なかなかそれが出来ないこともこれまでの経験で知っています(笑)。そこで、掃除好きな素敵な人物をご紹介します。「掃除、めんどくさいな…」と思った時に思い出して下さい。

 

周利槃特(しゅりはんどく)~掃除で悟りを得たブッタの弟子~

 

ブッタの弟子のなかで、一番頭が悪かったと言われる周利槃特。ブッタの十大弟子でもないのになかなかの人気者で、『天才バカボン』の「レレレのおじさん」のモデルといわれています。

 

周利槃特が悟りを得るまで

周利槃特は自分の名前も覚えられない位に物覚えが悪く、出来のよいお兄さんと一緒にお釈迦様の弟子になりましたが、あまりの覚えの悪さにお兄さんに「帰れ」と言われる始末。周利槃特が泣きながらブッダに言います。

周利槃特「私は物覚えが悪く、ばかなのでお釈迦さまの話が理解できません。兄からもう帰れと言われてしまいました」

ブッダ「お前もお弟子の一人なんだから、ここに居ていいんだよ。自分のことを愚かだと知っている者は愚かではない。自分は賢いと思い込んでる者こそ愚かなのだ」そう言いながら、ブッタは周利槃特にホウキを渡し「ちりを払い、垢を除かん」と唱えながらお掃除をするよう言い渡します。

周りの者たちは、「あんなことはサルでもできる」と馬鹿にするのですが、愚直に言われたままお掃除をし続ける周利槃特。「白かった布がいつの間にか汚れていき、拭いたところは少しずつきれいになっていく…」
それを体験し、物事は移り行くものでとどまるものはないのだ、ということに気づいたり、「染み付いた汚れは落ちにくい人の心も同じで、いつの間にか汚れてしまうもの。その汚れを落とすのは難しいが、少しずつでもきれいにする事が大事。お釈迦さまはその事を教えてくださるお役割なんだ…」と少しずつ色々なことに気づいていきます。

一年、二年、五年、十年、二十年と、ひたすら続けて掃除をしていきます…
ついに周利槃特は、「阿羅漢(あらかん)」の境地に到達します。「阿羅漢」とは、反省修行を行い心の汚れや曇りを落とし、第一段階の悟りを得ることです。バカにしていた他の弟子達も、次第に彼に一目を置くようになったそうです。

禅宗では、生活そのものが「行」であり、一つ一つの行いを「気づきをもってする」ことが悟りであると考えるそうです。悟りというゴールを目指して行うことではなく、すること自体が悟りであり、終わりなくし続けていくものなのですね。私たちの生活、そして人生も同じかもしれません。

 

大掃除というチャンス

お寺では、檀家さんにもお手伝いいただき、この1年に感謝しながら一緒に掃除を行うお寺も少なくないそうです。家族の大切な行事の一つとして、年末の大掃除ができたらいいですね。家族で協力しながら行うことに意義があり、今年も家族みんなが1年を過ごすことができたことを喜びながら一緒に掃除をすることで、家族同士の感謝の気持ちも深まりそうです。

役割分担をするときは、日頃それぞれが担当しないエリアを掃除すると、新たな気づきも生まれるいい機会ですね。

 

掃除の前の「片付け」

掃除は心を「無」にして、「自分の存在」を感じる時間にもなり、一種の瞑想の働きもあるといいます。私たちは、過去や未来のことを思って後悔や心配に心を働かせがちです。しかし、掃除に集中し、心が「今」にいる時、人は後悔や心配の気持ちを抱けません。
それは瞑想の効果のひとつと似ているそうです。ネガティブな心の状態を手放せるので、部屋がきれいになると同時に心の掃除にもなるのですね。

 

 

ただ、掃除は、掃いたり拭いたりの作業ですが、これに取り掛かる前には「片付け」が必要ということを付け加えておきたいと思います。

物が出っぱなしの場所に雑巾を持って向かっても、「どこに置けばいいんだっけ」「あ~、この本捨てようかな、でもあのページ読んでからにしようっと」「これ、○○さん欲しいって言ってたなぁ、いつ会えるかなぁ」と思考がぐるぐる動き始めてしまいます。

 

 

整然とした雰囲気のお寺ですが、その空気感を生み出すには、本当に必要なものだけを大切に使う、そんな意識を持つことも大切なのかもしれませんね。物が沢山溢れていて、心落ち着かないお寺には足を運びたくないと思いますが、自分の家こそ、自分の心がけ次第で整えられますね。

大掃除に向け、そして毎日の暮らしのなかに掃除を取り入れてみましょう。古くなったタオルを見つけてみることから初めてみてはいかがでしょうか。皆さまの毎日のなかに、掃除のような瞑想のような、ちょっとしたいい時間がありますように。

 


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